ソーラン渡り鳥などのヒット曲で知られる双子の演歌デュオ・こまどり姉妹。

「困った困ったこまどり姉妹」のフレーズが有名ですが、本当に困ったことだらけの半生だったようです。

そのこまどり姉妹の年齢や子供、がんの病気や借金や暴行事件などについて興味があったので調べてみました。

こまどり姉妹のプロフィール

姉:並木栄子(長内栄子)
妹:並木葉子(長内敏子)
出身地:北海道厚岸郡厚岸町
生年月日:1938年2月16日
年齢:79歳(執筆時)
所属事務所:日本コロムビア

こまどり姉妹は1938年北海道厚岸郡に、双子の姉妹として生まれます。父親は炭鉱労働者でした。

戦後の極貧生活の中、炭鉱を渡り歩いていましたが、こまどり姉妹が11歳のときに父親が結核に倒れます。

1950年、家賃が払えなくなった一家はついに夜逃げ。帯広で流しを始め、1日10円~20円の日銭を稼ぐ暮らしで、相変わらず苦しかったといいます。

駅のホームに寝泊まりし、畑から野菜を盗み、雑草を食べる生活でした。

1951年に上京し、東京・山谷の木賃宿に移住し、治安の悪い中、三味線片手に浅草で流しを始めます。

そんな中、美空ひばりさんや島倉千代子さん、小林旭さんらを手掛けた大物ディレクターの馬淵玄三氏にスカウトされ、1959年にコロムビアに入社し、『浅草姉妹』でデビューします。

当初は「並木栄子 並木葉子」の芸名でしたが、公募により、美空ひばりにあやかって「こまどり姉妹」となりました。

1961年には紅白歌合戦に初出場。以後7年連続で出場しています。

こまどり姉妹に襲いかかる不幸

人気絶頂の1966年5月8日のこと、鳥取県倉吉市で公演中に突然、18歳の男が舞台に上がり、妹の葉子さんを刃物で刺すという事件が起きました。

この男は、姉の栄子さんのファンで、結婚に応じてもらえなかったために無理心中を図り、間違えて妹の葉子さんを刺してしまったのでした。

葉子さんは腹部を刺され重傷でしたが、一命を取りとめます。

葉子さんはこの事件がトラウマとなり、しばらくの間ステージに上がれなくなってしまったそうですが、事件から2ヶ月後にはシングル『幸せになりたい』をリリースし、同年末には自叙伝『幸せになりたい』を出版。

事件の傷が癒えつつあった1967年に、税理士の横領による税金の滞納が発覚。同年の紅白歌合戦が最後の出場となってしまいました。

さらに、1971年6月、33歳のとき、妹の葉子さんが末期の肺がんと診断され、余命1ヶ月の宣告を受けます。

そのため、姉の栄子さんは、どうしても妹に助かって欲しいと、新薬の投与を決断し、治療費を稼ぐために1人で舞台に立つものの、1億円もの借金を背負ってしまいます。

一方で、妹の葉子さんは、新薬の副作用で髪が抜け、体重も20kg台にまで落ちてしまったのだそうです。

さらに同年は、母親と父親が相次いで亡くなります。

幸いにも治療のかいあって、妹の葉子さんは回復し、1972年に退院します。

しかし、あまりにも不幸続きで、さらに巨額な借金を抱えてしまったこまどり姉妹は、1973年に一旦芸能界から離れてしまいます。

借金は、音楽教室やスナックで働くなどして、地道に返済を続けていたのだそうです。

その後、懐メロ番組などに出演するようになり、徐々に活動を再開させ、1984年には『浪花節だよ人生は』で本格的な再スタートを切ります。

以後、『ソーラン渡り鳥』など数々の曲をリリース。

また、その壮絶な半生によりドキュメンタリー映画『こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ! 』や『爆報!THEフライデー』『有吉反省会』などのバラエティ番組に出演するなど、現在も第一線で精力的に芸能活動を続けています。

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