がばいばあちゃんで知られる島田洋七さん。現在の「がばい妻」律子さんとはどのような方なのか?馴れ初め、波乱万丈の結婚生活は?

相方、島田洋八さんのことなどとともに調べてみました。

島田洋七さんのプロフィール

名前:島田洋七(しまだ ようしち)
本名:徳永昭広(とくなが あきひろ)
出身地:広島市白島九軒町
生年月日:1950年2月10日
年齢:67歳(執筆時)
身長:164cm
学歴:広陵高校卒業、広島工業大学土木工学科中退
現職:漫才師、タレント、作家
所属事務所:オスカープロモーション

島田洋七さんの嫁・律子さん

島田洋七さんは広島県出身ですが、小学校1年のときに佐賀の祖母に中学校卒業までの8年間預けられていました。

そのときの体験をもとにした作品が、大ベストセラーとなった『佐賀のがばいばあちゃん』です。

高校卒業後、広島の広陵高校に野球推薦で入学し、その後広島工業大学に進学しますが、中退して佐賀に戻ります。

そのときに出会ったのが、現在の奥さんである律子さんでした。1969年、島田洋七さん19歳の頃でした。

律子さんはデパートに勤めていたそうです。

20歳のときに駆け落ちし、歌手を目指して上京するものの、すぐに貯金が底をつき、高校の先輩に誘われて大阪に移り、東住吉区の4畳半で2人暮らしを始めました。

そして、うめだ花月で中田カウス・ボタン師匠などの漫才を見たことがきっかけで、歌手を諦め、漫才を志すようになりました。

漫才だけでは食べて行けず、野菜の配送や深夜の配管工のアルバイトなどで食いつないだといいます。

冷蔵庫にマヨネーズとケチャップしか無いので、二人でそれを啜ったりしていたそうです。

八百屋からもらってきた野菜の芯や、パン屋でもらった食パンの耳、客の置いていった弁当などで食いつなぐなど、赤貧の生活を8年間続けたといいます。

そんな下積み生活を経た後、東京の漫才協団に加入し、1980年1月の「花王名人劇場」(関西テレビ)「激突!漫才新幹線」、4月「お笑いスター誕生!!」「THE MANZAI」などで圧倒的な実力を見せつけ、漫才ブームを引き起こします。

これを境に、夫婦の生活も一変しました。

最盛期には、毎月数千万円が入った段ボールを律子さんに渡していたのだそうです。

律子さんは箱を開けずに押し入れに保管していたそうで、約3億円の現金があったのだとか。

銀行に預けるために電話して「3億円あるから取りに来てくれ」と言うと、「イタズラ電話はやめて下さい」とどこも信用してくれなかったのだそうです。

1980年には年収が8億円に上ったそうですが、実家や自宅を建て替えたり、律子さんの実家のために漁船や機械を買ったりなど、かなり派手に遣い込んでしまったそうです。

そのため翌年以降の税金を払いきれず、数年かけて5億円以上の税金を払う羽目になったそうです。

その後、漫才ブームが去ってしまい、再び冬の時代がやってきます。

政治活動やビジネスなどに手を出した結果、多額の借金だけが残り、自殺を考えるほど精神的にも追い詰められてしまいますが、律子さんは常に島田洋七さんのそばに居続けて、支え続けました。

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