金スマでおなじみの監察医・上野正彦さん。光市事件などを担当し、北村弁護士の相棒としても知られています。
また、マリリンモンローやジョンベネ事件の見解、講演会や著書も話題でした。
その上野正彦さんの息子や妻など家族、大学、経歴などwikiプロフィールについて興味があったので調べてみました。
上野正彦さんのプロフィール
名前:上野正彦(うえの まさひこ)
出身地:茨城県(北海道育ち)
生年月日:1929年1月1日
年齢:88歳(執筆時)
学歴:東邦医科大学卒業
現職:作家、医事評論家
上野正彦さんは1929年茨城県に生まれますが、小学生の間は北海道積丹半島の美国というところで過ごします。
父親も医者で、その地で開業医をなさっていたのだそうです。
美国は当時、とても貧しい漁師町だったそうで、上野正彦さんの父親はお金を取らずに診察をしていたのだそうです。
そんな父親の背中を見て育った上野正彦さんは、自然と医師を志すようになります。
中学・高校時代を兄や姉のいる東京で過ごし東邦医科大学(現在の東邦大学)に進学。
卒業後は、日本大学医学部法医学教室に入り、1959年に医学博士号を取得。
同年東京都監察医務院に入り、監察医となり、1984年同院長に就任。
定年前の89年に退官し、執筆活動を開始。同年に出版した『死体は語る』は65万部の大ベストセラーとなり、以後、医事評論家としてテレビや雑誌などで活躍しています。
なお、行列のできる法律相談所などでおなじみの北村晴男弁護士とは「刎頚の友」の間柄だそうで、監察医としてタッグを組んで数々の難事件の真相を導き出してきたのだそうです。
※刎頚の友…その友人のためなら首をはねられても悔いはないと思うほどの、親しい交わりのこと(刎頚は首をはねるの意)
上野正彦さんの妻、子供
上野正彦さんは、1959年に章子さんという女性と結婚し、2児をもうけます。
結婚後は東京都杉並区に居を構え、章子さんは地域の活動に尽力し、1987年からは区議を務めるようになります。
4期16年もの間、区議を務めますが、その後、胃がんが発覚。
見つかったときには、すでに末期で全身に転移していたといいます。
上野正彦さんは毎日病院で寝泊まりしながら、章子さんのそばに居続けることにしたそうです。
章子さんは診断を受けてから、わずか40日後の2006年4月に71歳で亡くなりました。
章子さんは気丈な方で、亡くなる直前に、
「私が先に逝ってしまって、あなたをお世話できないのが心残りだわ」
と、あくまでも夫を気遣う言葉を遺していたのだそうです。
上野正彦さんの父親といい、妻の章子さんといい、いつでも自分よりも他人を優先させる優しさを持った人たちでした。
そんな人たちに囲まれている上野正彦さん自身もきっと、そのような人なのだろうと思います。類は友を呼ぶ、ということですね。
なお、上野正彦さんの子供についてですが、2人いるということは分かっていますが、息子さんなのか娘さんなのか、現在何をなさっているのかなど、詳しいことは分かりませんでした。
しかし、このような人たちに囲まれて育った子供たちですから、今ではとても立派な人物になっているであろうことは想像に難くありません。
以上、上野正彦さんについてでした!