海部陽介(カイフヨウスケ)さんがスイッチインタビューに登場。東京大学を経て国立科学博物館というエリート経歴ですが、そのwikiプロフィールは?
父、海部俊樹さんとの関係、家族や高校などとともに調べてみました。
海部陽介さんのプロフィール
名前:海部陽介(かいふ ようすけ)
出身地:東京都
生年月日:1969年
年齢:47歳または48歳(執筆時)
学歴:東京大学理学部卒業、東京大学大学院理学研究科博士課程中退
学位:博士号(理学)東京大学、1999年
現職:国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ長、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻准教授(併任)
海部陽介さんは1969年東京都出身。
東京大学理学部を経て、同大学院理学研究科博士課程に進学。
同課程を中退し、国立科学博物館の研究員に就任。
2007年からは東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻准教授に就任。
また、2014年から国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ長に就任し(併任)、現在に至ります。
現在の研究テーマは、
- 化石の形態解析による人類進化の研究(古人類学)
- 過去1万年間におけるヒトの顔面や骨格の形態変異の研究(骨格形態人類学)
とのことです。
海部陽介さんを一般にも有名にしたのは、何と言っても「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」です。
日本列島に住む私たちは、地球上の様々な地域からやってきた大昔の人類の子孫です。
私たち現生人類であるホモ・サピエンスは20万年前にアフリカに誕生し、日本を含め世界中に広がっていきました。
琉球列島には3万5000年~3万年前の遺跡が残されており、そのくらいの時期に人類が日本列島に移住してきたと考えられています。
そして、そのルートとして、
北海道ルート(サハリン~北海道)
対馬ルート(朝鮮半島~対馬)
沖縄ルート(台湾~沖縄)
の3つが考えられています。
当時は氷河期だったため、北海道ルートは氷で陸続き、また対馬ルートも対岸が見えるほど近かったため、それほど移動は難しくなかったと考えられています。
一方、百km以上離れた島々を渡る沖縄ルートは、非常に困難の伴うルートでした。
海部陽介さんの関心は、「彼らはどうやって日本に来れたのか?」ということでした。
しかし、当時の舟は朽ち果てて残っておらず、どんなものだったかを知る手がかりはほとんどありませんでした。
そこで海部陽介さんは、様々に検討した結果、当時は丸木舟や帆を使ったという証拠が残っていないため、草や竹をつる草で束ねた舟であろうと考えたのだそうです。
そして、2016年にクラウドファンディングで資金を調達し、舟を実作。実際にこれで航海できるかどうかを、与那国島~西表島のルートで実証実験してみました。
残念ながら、海流が予想以上に早く、ルートを大幅に外れてしまったため、途中で実験を断念せざるを得なかったようです。
実際にやってみて、その難しさを改めて知り、実験によりかえって謎が深まったといいます。
実際に舟を漕いだ人たちからは、当時の人たちについて、
- 風や波など自然についての豊富な知識
- 私たちが失ってしまった何らかの能力
- 海を渡るという極めて強い思い
などを持ち合わせていたのではないか、という感想を持ったそうです。
また、そもそも草舟ではなく、木を用いた可能性も探る必要が出てきたといいます。
何を用いれば、そしてどんな能力があれば航海が可能なのか、その探求はさらに続くようです。
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