日大三高・硬式野球部の小倉全由(オグラマサヨシ)監督と言えば、関東一高や日大三高を春夏の甲子園の準優勝、優勝に度々導いた名将として知られています。

その小倉全由さんはどのような方なのか?

名言や人柄のほか、経歴などwikiプロフィールなどに興味があったので調べてみました。

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小倉全由さんのプロフィール

名前:小倉全由(おぐら まさよし)
出身地:千葉県
生年月日:1957年4月10日
年齢:60歳(執筆時)
学歴:日本大学第三高等学校、日本大学経済学部卒業
現職:日本大学第三高等学校社会科教諭および硬式野球部監督

小倉全由さんは1957年千葉県生まれ。

日大三高に進学し、硬式野球部に入部し、内野手として副将を務めたものの、レギュラーの座を獲得することはできませんでした。

卒業後は日本大学経済学部に進学。大学では野球部には入りませんでしたが、高校野球の指導者を目指して母校・日大三高でコーチを務めました。

日大卒業後、1981年に関東一高野球部の監督に就任します。

当時の関東一高は甲子園出場経験のない無名校でしたが、わずか4年後の1985年に甲子園初出場を果たし、8強入りという快挙を成し遂げます。

さらに87年のセンバツで準優勝となり、関東一高の名を全国に轟かせます。

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しかし、その後は振るわず、春夏ともに甲子園出場を逃し続け、89年に退任に追い込まれます。

その後は一旦野球から離れ、教諭としての仕事に専念するようになりますが、92年に監督として復帰し、97年に母校の日大三高に移ります。

そして打率4割を超える強力打線を率い、2001年の夏の甲子園ではついに同校初の全国制覇を達成します。

以後、2010年のセンバツで準優勝、2011年の夏の甲子園で2度目の全国制覇を成し遂げます。

2017年5月時点での春夏甲子園での通算成績は出場18回で32勝16敗、うち準優勝2回、優勝2回となっています。

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